ルピナス文庫 

「死」をあつかう本を子どもに手渡すということ

久々に。
長い長い記事です。

この本のこと。
取り上げることすら気が進みませんでしたが。
生協でも「ベストセラー」と注文カタログに載り、書店でも目立つ位置に平積みされている本です。
続編も、出ているとか。

Amazonで、レビュー数430(2016年10月末時点)。
『ハリーポッターと賢者の石』 でも、 230 です。
絵本で430。
その話題性は凄まじいものがあります。
星5つが269。
星1つが92。
こんなに評価が分かれるのも珍しい…というか、ある種の珍事件。

『ママがおばけになっちゃった』  のぶみ作 講談社

リンク、バナーは貼りません。
はっきり申し上げて 嫌い です。
この本の存在を知ったのが、2016年の春。
ずっと、「絵本の会」以外では黙っておりました。
直接、面と向かって言えるのでなければ作者を悪く言うべきではないですし。
基本的には、大人が自分で考えるべきことでもあると思ったからです。
基本的には、今も、そう思っています。
でも、家庭文庫の館主として黙っていてはいけないのだと、今日改めて感じる出来事がありましたのでパソコンに向かっています。

この本で、「泣ける」とおっしゃる方がいらっしゃいますが。
初めて読んだとき。
嫌悪感と激しい怒りしか感じませんでした。
同時に、それがベストセラーで爆発的に売れていてAmazonレビュー欄でも珍事件になっていると知り
ひどく不安を覚えました。
一体、人の感性は、母たちは、どうなってしまっているのか……と。

はっきり申し上げます。
あれで出る涙は安っぽい「自己愛」「自己憐憫」以外の何物でもありません。
「涙を誘えば売れる」
最近の安っぽいドラマ、映画、本にありがちな卑しさ。
この本は特に露骨すぎて、吐き気を感じます。
「母に感謝するようになるはず」
子どもみたいなこと、言ってはいけません。
母になった以上、その覚悟と責任を身に付けてください。
この本で泣けてしまった方々。
その方々が安っぽいわけではないのですが。
ただ、おそらくきっと、苦しんでいらっしゃる方々なのです。
どうか、悩みを真にわかちあえる生身の友に、
真剣に叱ってくれる師に、出会えますように。

母が死ぬ。
それが、子どもにとって、どれほどの…どれほどの ことなのか……。
幼い子を残して死ぬ。
それが、母にとって、どれほどの…どれほどの ことなのか。
私が のぶみ さんの母であったなら、間違いなく平手打ちをくらわしています。
泣いて泣いて、胸ぐらをつかんで、本気で、叱ります。
一体。
のぶみ さんの周りには そういう大人がいなかったのでしょうか……。
講談社さん。
編集者、出版社とは、いったい、何なのですか……。

大人とは、次の世代に何かを手渡す存在になること そう常々感じています。
何を
いつ
どうやって
手渡すのか
あるいは
あえて
手渡さずにおくのか。

次の世代に 何を手渡すのか。
世の中の全ての大人に、もっと真剣に 考えていただきたい。
 
子どもの本と「死」に関して言うなら。
私は、10歳までの子どもに「死」をあつかう本を「わざわざ」与えるべきではないと思っています。
もし…(そんな必要性があるのか疑問ですが)…手渡すなら
子どもの動揺をカバーする覚悟を持って、手渡して頂きたい。
不安がる子どもを実際に抱き締め、落ち着かせ、この世界の素晴らしさを伝えてあげることのできる大人が。
ですが、それが出来るタイプの方々は皆さん、きっとおっしゃることでしょう。
「わざわざ本の形にして、怖がる子どもに言葉で教えることではないのだ」 と。

4人目の子どもが、今年9歳になりました。
一番、「死」が気になって、こわくてこわくて。
中でも おかあさん が死ぬことがこわくて仕方ない年齢です。
小学生の頃、母が死ぬことを想像しただけで怖くなって悲しくなって涙が止まらなくなる。
私も、そういう時期がありました。
そして我が子達も、みんな、その時期がありました。
夜中泣きながら「死なないで」と、抱きついてくる……。

強がって見せる子たちが、やたら「死」に近づこうとするのも、それが怖くて気になることだからです。
ベクトルの向きが間違ってしまい、一線を越え、 「殺」 に結びついてしまうことも、あるのでしょう。
気の毒な子ども達です。
本当は怖くて仕方なかったその時期に、抱きしめて 落ち着かせてもらえなかったのでしょう。
この世は生きるに値する素晴らしい場所だと
全ての生き物にとって そう なのだと 

「死」への恐怖と対峙するのに必要なのは知識ではありません。
生きることは楽しいことだと、素晴らしいことだと、命のぬくもりの中で実感することなのです。


子どもにとって「死」とは本来強烈な恐怖の対象です。
軽々しく扱ってよい題材ではありません。

今日、パソコンに向き合うことになったきっかけは先週の「絵本の会」で話題になった1冊の本でした。
『ママがおばけ~』の比較対象として取り上げられた1冊で
『おかあさんどこいったの?』という本。
慌ててクリックしないでくださいませね。
結論から申しますと、文庫には置きません。
たしかに『ママがおばけ~』と比較するのも申し訳ないくらい本当の姿が描かれています。
子どもの苦しみ。悲しみ。それを乗り越えるということ。
涙が出ました。
と、同時に、死を乗り越えるために必要な「時間」と「ぬくもり」が描かれている頁をゆっくり眺めながら
「そう、だからこそ、文庫には置けない。責任が取れないのに置くべきではないだろうな…」
そう、思ったのです。
きっと、読み終えた子はお母さんの死を余計に怖がるに違いなく…その時に絶対に大人に抱きしめてあげてもらいたいわけなのだけど…そんな説明をしてまで、やはり「わざわざ」怖がらせることでは無いな…、と。
そう、思って本を閉じたときです。
早朝とはいえ私も迂闊でしたが、末娘が起きてきて
「それ、新しい本? 読みたい!」 と。
最初 「いや、これは……」と、引っ込めたのですが。
それでも食いついてくる次女の目を見つめながら、覚悟を決めて渡しました。
結果。
読み終えてパタンと本を閉じ
「短いお話し。つなんないの。もう1冊届いてるほう、読ませて」
と。
で、それからしばらくして

「おかあさん、ぎゅってして」

しばらく…5分くらい。
ぎゅっと、抱きしめました。
それから二人で しばらくの間、じっと、見つめあいました。
「おかあさん、何か、読んで」
「何がいい?」
「『ラモーナ』がいい。」
「『ラモーナ』、いろいろあるけど、どれがいい?」
IMG_20161030_160204.jpg
「『ラモーナとおかあさん』がいい」
「いいよ。」

……ところが。写真にありますように、なんとなんとの貸し出し中。
文庫の看板出して9年目。
初めて心底、貸し出し中で手元に無いことにガッカリしました。

「……貸し出し中……だね」
「じゃぁね……、『ラモーナ8歳になる』がいい」
「どの章がいい? 何度も読んでるよね? 好きなところ、読んであげるけど?」
「うーん。最初からかなぁ」

しばらく…1時間くらい…ラモーナを読みました。
「ありがと。続きはあとでまた読むからいいよ」
「そ…?」

色んな事を考えました。
ウチの子は、幸せな方かもしれません。
私だけでなく、『ラモーナ』の作者ベバリィ・クレアリーさん、そして細部まで丁寧に言葉を選んで翻訳してくださった松岡享子さんにも、間接的に抱きしめてもらえたのですから…。
幸いなことに、本の中にも自分の心を抱きしめてくれる人物がいることを 3年生にして感じ取っているのです。


やはり、覚悟なしに置いていい本では無い。
私は、文庫には置かないと、決めました。


ちょうど10月27日の朝日小学生新聞に、ぴったりの記事が載っていました。
2面、『国語の教科書に登場する作家』生命誌研究者の中村桂子さんの特集記事です。
―――死については、どう考えるといいでしょう?―――
という記者さんへの問いに、中村桂子さんは
「大人の言葉で死を教わるのではなく、子どもが小さな命を見つめ、自分の考えをつないでいってほしい」
と、おっしゃっています。
本当に、その通りだと思います。


子どもに何をどう手渡していくかということを考えるときに
とても大切な視点です。
大切なことほど、自分で考えて欲しい。感じて欲しい。

手渡さない、ということも大切な選択肢です。

わざわざ「死」についての本を10歳くらいまでの子どもに手渡す必要は、無いのです。


「戦争」の本も、一緒です。
子どもが、そのことをじっくり自ら考えたくなるまで待つべき内容のことです。
「死」の恐怖とも対峙できない子どもに「戦争」と向き合わせることは、危ういものがあります。
いたずらに恐怖をかきたてれば憎悪が増し、理解から遠のいてしまいます。


何を手渡していくべきか。
もっと真剣に、考えてみませんか。
そしてもっと、子ども達自身が持つ力を信じて 待ってあげませんか。



今日は少し、感情的な記事になってしまいましたが。
皆さんと 色々なことを考えていけたらよいなと思います。

「絵本の会」では、子どもに何を手渡すか、ということも含めて 真剣に語らうことが出来ます。
ぜひ一度、ご参加くださいませね。

※政治的宗教的な勧誘、活動は一切ございませんのでご安心を。
 また、会員の方による文庫内での一切の政治的宗教的活動も禁止させていただいておりますので、よろしくお願いいたします。



~~~ちょっと大切な補足~~~
Amazonのレビューを読んでいて、見過ごせないレビューがありましたので、少し。
どうも…例の本に対しての批判を読み「子どもに与える『死』について、そんなにとやかく言うなら昔話はどうなんだ。あんなに人が殺されるのに」 というようなレビューがございました。
すっかり、私の中では当たり前になりすぎていたようですが、そもそも良質の昔話であれば「死」にスポットライトが当たることはありません。 それどころか確かに「死」は欠かせない要素です。
この世は残酷でもあります。
そしてそんなことは、誰に教わらずとも相当早いうちから子ども達も気付くことです。
対峙する用意の無い子どもに赤裸々に描写して手渡すことに私は反対ですが
やみくもに排除して与えないようにする動きにも反対です。
死 に限らず 嫉妬 ねたみ 復讐 といった、決して、この世からなくなることはないであろう人の闇
自然な姿で さりげなく。
そういうことも、あるのだと。
かつ、それでいてなお、生きるに値するのだということが 感覚的にわかるように。
昔話ほど巧みに、そのことを、幼い子どもにも楽しませながら伝えることができる形は そうそうありません。
昔話の中で母を失う子は山のように登場しますが、良質な昔話において、母を失った際の心情が事細かに描写されることはありません。
※そのような「いらない」描写が多すぎる昔話もどきの創作が「昔話」として売られていることもありますので、注意が必要です。

こちらの言葉をお借りするなら
昔話には、大人の目に恐い話と映るものもありますが、そんなふうに受けとめる人たちは、子どもにあるようなバランス感覚が欠けているのでしょう。子どもたちは、恐怖の向こうに道徳的な力と力の闘いを見ているのです。何世代もにわたる人々の知恵によって伝えられてきた生命の感覚をつかむこと、それが子ども時代にだれもが受け継いでいく伝統です

ルピナス文庫でも、良質の昔話が好まれて読まれる年代は 3歳~12歳くらいまで。
ちょうど、自他の感覚がはっきりして外界に深く興味を示すようになった頃から、自分の言葉でしっかりと物事を考えることができるようになる前までの子ども達です。(ひと昔前までは10歳、と思いましたが今は13歳くらいまで…と感じます。)
まだ感覚的な世界に生きている子ども達に、さりげなく生命の感覚を ことばで大人の口から子どもの耳へと伝えることができるのが昔話です。

さらりと闇を見せた後、その先の希望を、光を、楽しませてあげる。
未来を信じる力を 楽しみと喜びのうちに身に付けさせてあげることができる形式。
それが昔話です。
良質の昔話には、「死」が欠かせません。


~補足 その2~

先日の『情熱大陸』での、のぶみさんの特集を見ました。
その上で、さらに色々と思うところもあり改めてAmazonのレビューにも11月17日に投稿しております。
星1つ のレビューにございます。
長文ですので、お時間のございますときにお目通しいただけましたら幸いです。

レビュー内容にご賛同頂けましたら、レビュー最後の
「このレビューは参考になりましたか?」 の「はい」にチェックを入れて頂けますと、購入を迷っていらっしゃる方の参考にして頂ける可能性が高まりますので、よろしくお願いいたします。

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